催

 “マイウイスキーづくり 余市の旅”に参加して
唐木 功(昭33卒)
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唐木 功 はじめに
広島醗酵会東日本支部が、支部創立10周年を迎えたことを記念して、平成15年6月に企画された「マイウイスキーづくり 余市の旅」に参加しました。それは次の10年に向かって新たな一歩を踏み出すにあたり、東日本支部の幹事の皆さん一同が熟慮を重ねて練られた特別企画です。日本のウイスキーの故郷余市でウイスキーづくりを体験し、蒸留したてのまだ無色透明なウイスキーを樽詰めして、10年後に琥珀色となったウイスキーと再会しようという初夏の癒しの旅でした。ちょっと残念だったのは、東日本支部の会員全員参加というわけにもいかず、とりあえず今回は東日本支部創設に際して、ご苦労の多かった役員経験者に事務局から声を掛けられたという経緯でした。
マイウイスキーづくりの体験
平成15年6月7日(土)午後2時ニッカウヰスキー竃k海道工場余市蒸留所に参加者一同、航空機とJR乗り継ぎで、レンタカーで、あるいは寝台特急カシオペアで等々色々な交通手段で現地集合です。竹鶴支部長もご多忙中にもかかわらず定刻どおりの参加でした。各自到着の受付を済ませ、お互いに挨拶を交わしつつ更衣室で薄緑色のつなぎ型作業着に着替えて、会議室で山地工場長の歓迎のことばを、小原品質管理室長から製造方法の講義を受けた後、早速、製造工程の見学と体験です。

“麦芽の乾燥工程” 発芽した二条大麦をキルン塔でピート(草炭)を燃やして乾燥させますが、ここではキルン塔の中の狭い急な木の階段を登って、乾燥部屋でスモーキー・フレーバーのついた乾燥麦芽を手に取って実感しました。
“糖化工程” 糖化液が発酵槽へ送られた後の糖化槽の内部洗浄のために、長靴に履き替えて槽内に降りデッキブラシで水洗いの体験です。
“発酵工程” 発酵層ののぞき窓から発酵の初期、最盛期、熟成期ごとに泡の立ち具合の変化を確認します。
“蒸留工程” 発酵液(アルコール分7〜8%)の入った大きな良く磨かれた銅製のポットスチルを、石炭でゆっくりじっくり加熱して直火蒸留します。蒸留は2回行なわれ1回目でアルコール分は23%へ、2回目で70%近くなり、最初と最後の留分を除いた無色透明なアルコールが原酒となります。ここでは石炭をスコップで炉に投入する体験ですが、なかなか上手く石炭が炉の奥へ届きません。
ここまでが第1日目の体験で、2日目は樽作り、樽詰め、そして貯蔵工程です。
“樽作り” かつては北海道産のミズナラ材が、今日では資源不足から北米産のホワイトオーク材が用いられています。樽作り40年で世界のウイスキー樽作り8人の中に入る名人長谷川さんに出会いました。名人の手ほどきで、ここでは樽のタガを締めたり、液漏れを防ぐために、オーク材の継ぎ目にガマの葉を挟んだりの体験をして、樽の内面をガスの赤い炎で一瞬のうちに焼き焦がす名人芸を見学しました。
“樽詰め工程” 昨日ポットスチルで蒸留した70%近い無色透明なアルコールを、タンクから樽に詰めます。樽の鏡の部分には各自いろいろな思いを込めて名前をサインしました。樽の栓は木槌で一人ひとり交代して叩いて押し込めます。さすが昔取った杵柄、竹鶴支部長の木槌の振り方には迫力があります。狙いはずれて樽の胴体を栓は緩んで出てきます。栓を叩き過ぎて抜けなくなったらどうするんだろうという心配は無用の体験でした。
“貯蔵工程” 無色透明なアルコールの入った樽をおよそ100m位離れた貯蔵庫まで、三人掛かりで交代しながらごろごろと転がして貯蔵庫に運び入れます。庫の中は薄暗く床には砂が敷き詰められて、2本の太いタル木の上に奥の方から熟成中の樽が、2段に積まれて既に熟成の眠りに就いています。新入りの樽は中側の列の入り口に近い1段目に横になり、今から10年の間位置と場所を変えながら豊かな香味と琥珀色に変わっていきます。熟成の時を経たウイスキーは一樽ごとに個性が違うといわれていますが、10年後にこの樽と再会した時、あの無色透明なアルコールがどんなモルトウイスキーに変身しているのでしょうか、わくわくの歳月です。

 







旧竹鶴邸
旧竹鶴邸は昭和10年に工場敷地内に建てられ、昭和21年頃に余市町山田町に移築の後、再度私邸の母屋の部分が工場敷地内に「旧竹鶴邸」として庭園と共に復元され、展示品、調度品、愛用品等が大切に保管され展示されています。一般公開は玄関ホールと庭園だけですが、第1日目の夕食後、山地工場長のはからいで非公開の和室、洋間、ソファー、箪笥などの展示品をみせていただきました。照明の下に浮かび上がった室内は幻想的で、洋間に置かれた鍵盤の少し黄ばんだピアノが印象的でした。

海の幸
工場内にあるレストラン「たる」で、山地工場長、小原室長を囲んで参加者一同、初日の夕食と2日目の昼食を共にしました。北の大地は、近海のサケをはじめ、ウニ、イカ、エビ、カレイ、カニなど魚介類、りんごをはじめ豊富な果物の宝庫でもあります。芳醇なウイスキーとこの季節限定のシードルとカニを満喫しつつ歓談の輪は広がりました。

余市の夜
工場に隣接して余市宇宙記念館(スペース童夢)がありました。余市町出身の、日本人初のNASA宇宙飛行士毛利衛氏の功績を記念して建てられたものです。そして近くには竹鶴政孝夫人の名前をとったリタ幼稚園もあります。初日の夕食後、旧竹鶴邸を見学して宿に帰る道すがら、工場長の案内でこじんまりとしてしゃれたスナックに全員で立ち寄りました。目も照明に馴れてきたところで壁のあちこちに華麗なスキージャンプ選手の写真が架かっているのに気付きました。オリンピックの舞台で羽ばたく舟木選手で、お母さんがこのスナックのママさんでした。

6月8日(日)午後1時、一同全日程を終了して先刻貯蔵庫で長い眠りに就いた樽と、10年後に再会することを誓って現地解散となりました。
時節の遷り変りが速くなって、かつての十年一昔は今五年一昔かもっと速くなっています。とは言っても樽の熟成が2倍の早さで進むわけではないので、あとはウイスキーづくりに最適の地余市の気候と風土に任せてゆっくりと10年待つしかありません。たまたま手許に「週間東洋経済」というビジネス雑誌2004年2月7日号がありますが、その裏表紙に余市蒸留所の貯蔵庫の写真が載っています。これから先幾度かこうした絵や写真をみることでしょう。その度にあの「樽」はうまく熟成しているだろうかとの想いを馳せることと思います。
まさに夢と琥珀色の浪漫の贈り物です。
最後になりましたが、参加者を敬称略・順不同で紹介させていただきます。

web版での掲載は省略致します。
広島醗酵会会報をご覧下さい。


 



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